山岡久乃の元旦那森塚敏との離婚理由は?養女に泰子を受け入れたのはなぜ?
1999年、『日本のおかあさん』とまで言われ国民的な人気女優だった山岡久乃(やまおかひさの)さんがなくなってもう17年。
女優を引退する前は脚本家・橋田壽賀子(はしだすがこ)が描くTBS日曜劇場ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』を突然降板するなど、まさかの出来事に連日ワイドショーは大騒ぎ。
そんな国民的女優だった山岡久乃さんの私生活について調べてみました。
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山岡久乃の経歴やプロフィール
本名:山岡比佐乃(やまおか ひさの)
出身地:東京都大田区
生年月日:1926年8月27日
没年月日:1999年2月15日(享年72歳)
山岡久乃さんは1926年、和暦でいうと大正の最後の年でもある15年に東京都大田区に生を受けました。
1942年の16歳のときには宝塚歌劇団の前衛でもある宝塚音楽舞踊学校に男役を志願して入学。
山岡久乃さんのあのお腹からでるようなハキハキとしたセリフはこの宝塚で培ったのでしょう。
また、1942年(昭和17年)といえばまだまだ子女に対する教育が今ほど盛んでなく、尋常小学校止まりだった時代に宝塚に入学した事を考えると、実家はかなり裕福な家庭だったことが想像できます。
しかし、時代はそんな彼女の夢を打ち砕くことに。
日本とアメリカが全面戦争に突入したため、舞台に立つことを断念し1944年に宝塚音楽学校を中途退学する事になります。
しかし戦後、GHQの統治下に置かれた日本が落ち着きを取り戻し始めた2年後の1946年、俳優座に入団した久乃は遂に夢であった舞台に出演。
その後は数多くの舞台や映画に出演し、テレビがお茶の間に広がるとドラマ女優としても大活躍しました。
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俳優・森塚敏との結婚と離婚
女優として順風満帆だった山岡久乃は1956年の時に同じ俳優仲間だった森塚敏(もりつかびん)と結婚します。
大正生まれの女性の殆どは10代か20代前半には嫁として嫁ぐ時代だったのに、山岡久乃が結婚したのは30歳。
当時としては超晩婚で売れ残りとも言ってもおかしくない年齢。
そして森塚敏も同じ30歳だったとはいっても山岡久乃の方が2ヶ月早く生まれた年上。
一般人ではあまりない結婚だったのですが、この歳での結婚の原因は妻子ある俳優の小沢栄太郎との不倫でした。
もちろん小沢栄太郎との不倫に終止符を売った後に森塚敏と結婚したのですが、小沢栄太郎の初妻は栄太郎と山岡久乃が別れた後の1954年に自殺で死去。
なんとも悲しい結末となったのですが、山岡久乃も森塚敏とは15年で結婚生活に終止符をつけて離婚しました。
当時は今ほど芸能人の私生活がオープンでなかっただけに、離婚理由については今でも謎。
ただ、45歳になっても実の子供がいなかったことから、もしかすると離婚の原因の一部はそのことがあったのかもしれません(勝手な想像ですが)。
その後、山岡久乃は一生涯独身を通し、1999年2月15日に72歳で死去。
元旦那の森塚敏は2006年6月19日に79歳で亡くなっています。
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渡る世間は鬼ばかりの降板理由
渡る世間は鬼ばかりで主役・岡倉節子役を演じていた山岡久乃さん。
1990年から高視聴率キープし、日本を代表する家庭ドラマだったこの作品を1998年に突然の降板するとこれが大騒動に発展します。
もちろんTBSや脚本家の橋田壽賀子は山岡久乃がいなければ番組が成り立たないので何度も出演するよう山岡に対して要請。
しかし山岡の意思は固く説得を断念。
橋田壽賀子はもう止めましょうとTBS側に番組の打ち切りを持ちかけるも、国民的な人気番組に成長し高視聴率だった番組を打ち切ることができず、結局次シリーズで山岡久乃は死亡という設定で強引に番組を続けることに。
結果として小島五月役を演じていた泉ピン子がそのまま主役に昇格することとなり、脚本の面白さもあって番組は高視聴率をキープ。
最終的には2010年までに10シリーズのまでの作品となり、現在でも2時間スペシャルなどが放映される息の長い作品になっています。
実際の降板理由は、「パート3撮影時に発覚した石井の脱税騒動で自分の名前が脱税のために勝手に利用されていたことによる石井への不信感と、(肝菅癌発症前に)総胆管結石および肝機能障害のため体調を崩し、自身の年齢も考えて、今後は自分の好きな仕事だけをしていくと決めたためだった」
引用:Wikipedia
この石井とは番組のプロデューサーでもある石井ふく子氏のこと。
山岡久乃と同じ1926年生まれで数々の舞台も演出している演出家でもあった人物でした。
養女受け入れの理由とは?
離婚後一生涯独身を貫いた山岡久乃は姪でもあった泰子を容姿に受け入れています。
その理由としては、本人の財産管理を泰子さんに渡すために養女として受け入れたと言われています。
現在では山岡久乃さんが出演した作品についての権利者はオフィス天童に委任。
その後、山岡久乃は愛知県豊田市にある老人ホーム『終の棲家』に入るなど、ひっそりと晩年を過ごしていました。
山岡久乃の出演作品
ごく一部ですが山岡久乃さんが出演した作品をまとめてみました。
陽のあたる坂道(監督:吉松安弘、1975年)
喜劇 百点満点(監督:松林宗惠、1976年)
悪魔の手毬唄(監督:市川崑、1977年、井筒いと役)
植村直己物語(監督:佐藤純彌、1986年)
次郎物語(監督:森川時久、1987年)
善人の条件(監督:ジェームス三木、1989年、清川いさ子役)
パチンコ物語(監督:辻理、1990年)
釣りバカ日誌7(監督:栗山富夫、1994年、田上夏江役)
秋桜(監督:すずきじゅんいち、1997年)
はぐれ刑事純情派(1990年) ‐ 遠井キミヨ
新春ドラマスペシャル・家族日和93(1993年)
失われたとき・女たちの太平洋戦争II(1993年)
裸の大将放浪記・37(1889年)
花王ファミリースペシャル「虹が出た!6・待ち人来たる」(1992年)
新春ドラマスペシャル’94・仰げば尊し(1994年)
女の言い分(1994年、西郷蒔子役)
おかみ三代女の戦い(1995年、久松志津枝役)
魔の季節(1995年、渡紀久枝役)
金のたまご(1997年、桜井りえ役)
TBS開局三〇年記念ドラマ「そして戦争が終った」(1985年、鈴木たか役)
好色一代男 世之介の愛して愛して物語(1986年)
セゾンスペシャル「サーカス村裏通り」(1987年)
ドラマ特別企画・「妻たちの鹿鳴館」(1988年)
男を金にする女(1990年)
結婚のあとさき(1990年)
あら、まッ(1992年)
一人ぼっちは怖い(1993年)引用:wikipedia
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まとめ
1998年12月、渡る世間は鬼ばかりの第4シリーズが始まると、自身が胆管がんである事を告白した山岡久乃さん。
その約1年後の1999年2月15日に胆管がんによる心不全という形で亡くなった山岡久乃さんの通夜と葬儀にはたくさんの大物俳優や女優が集まり、テレビのワイドショーでも大々的に報道。
お茶の間のファンだけでなく、芸能界でも理想の母親として愛され慕われていた山岡久乃さん。
葬儀入りの際には沿道には1万人のファンが集ったと言われています。
これだけ愛される名女優はこの先当分出てこないかもしれないと思うと、本当に残念でなりません。
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